先日も書きましたが、5月7日、ハノイのホテルで目覚めたとき、いままでとは違った感覚で起き上がりました。なんか、すっきりしているのです。その感覚は、いまも、自覚できます。
常にぼやっとした霞のようなものに脳内が満たされていた気分だったのが、晴れたのです。快晴ではないものの、天気予報なら、晴れと言ってよい程度に青空が見える状態です。
Cám ơn, Việt Nam!
旅行者という、何者でもない、もしくは、何者にもなれる、特別な存在として、ベトナムを歩き回ったことが、気持ちを切り替える方向に作用したのでしょう。
日本語が通じない土地で、ブロークン英語と拙いベトナム語を使い、自分の要求を満たすために、感情をはっきり表現しなくてはなりません。それが、発芽に必要な水分と同じような役割を果たしてくれたのではないかと思います。
ホイアンで、半日自転車を借りただけなのに、ホテルが近くだったせいもあり、僕が通るたびに手を振ってくれたおばちゃん。毎日昼前に水分補給に通っていたSinh To屋台のおばちゃんは、僕がハノイに戻ることを知ると「大きな町だから気をつけるんだよ」と声をかけてくれた。
自己を取り戻すリハビリの旅は、上首尾だったといえます。
僕は旅人です。天候によって行動のパフォーマンスが左右されます。
今回の旅にはスーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房)を携えていったのですが、そのなかに「ジャーナリストという旅行者」という表現がありました。やってきて、見たり聞いたり写真を撮ったりして、やがて去っていく存在。アイロニーを込め、そう言っているのです。
ずっとそこにとどまることはできないのです。
いくつかのことが、結びついたような気がします。視線の先にあるものを見つめ、理解に努め、記録し、帰っていく。その厳しい行為を続ける用意ができつつあるようです。
まとまりがありませんが、ご容赦を。いま書いとかないと忘れちゃうので。
今夜もパシチモターナ・アーサナで接続を確認して眠ります。