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2010/04/02

ジャーナリズム講習会終了

大学でジャーナリズム講習会の講師を務めた。まさに不肖ながら。

昨今は卒業生で活躍している先輩を呼んで、就活講演会も開催しているようだが、フリーランスの僕はもちろん対象外。だから今回も公式カリキュラムではない。ま、だからこそ出来ることもある。

今回は、ロシアからの短期留学生が、出身のモスクワの大学でジャーナリズムを専攻しているということで、僕にお声がかかった。”彼女ら2人”が4月中旬に帰国する前に、ジャーナリズムについて「生の声」を聞かせたいとの依頼だった。

基本的に頼まれごとは、嫌いじゃない。

まず、鳩山首相記者会見のオープン化と記者クラブ問題をからめて、そして、メディアの広告費について、09年にインターネットが新聞を上回ったことを紹介し、メディア産業の構造の一端を紹介した。

もちろん、話の骨幹はジャーナリズム。ピュリッツアーを受賞したケビン・カーターの写真「ハゲワシと少女」を素材に、「報道すべきか(撮るべきか)助けるべきか」を議論して、ジャーナリズムとは何かを学生に考えてもらうことにした。

ゼミ形式で、日本人学生を含めて参加者は7人。そのうち、ジャーナリズム専攻はロシア人留学生のうち1人。「ハゲワシと少女」の写真を見せながら背景説明をし、もし自分がジャーナリストなら「報道すべきか助けるべきか」を尋ねたら、命を優先すべきとはっきり答えたのは彼女1人で、他の学生は、条件つきで助けて報道する、もしくは報道すべきと答えた。

報道すべき:6
助けるべき:1

これは想定外。実は逆の結果になるのではないかと予想していた。これは、ジャーナリズムに対する先入観というか、彼女彼らが思い描く理想像か? その後、いくつかの事例を紹介した上で、再度同じ質問をした。その結果は、以下のとおり。

報道すべき:3
助けるべき:4

どちらかに偏ったものが、均衡する結果になった。短時間の議論をとおしての判断だから、学生も葛藤をかかえたまま、答えてくれたのかもしれない。もちろん、僕だって試行錯誤の繰り返し。でも、ジャーナリストの仕事は、人間の命と権利を守るという基盤の上に成り立っている、と考えている(どっかで聞いたフレーズですが)。

以上の講義の仕方は、米国コロンビア大学ジャーナリズム大学院の授業でも実践されていると聞く。機会があれば、あらためて学生と一緒に考える機会を持ちたい。

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