誰の声を聞く?
旅行中は世事から離れてーーとは、いきませんでした。MacBookを背負って、WiFiアクセスポイントを探したりしてる時点で、落第です。ま、俗っぽくいくとしますか。
聖火リレーにあわせて、ハノイからサイゴンに飛んだのですが、その模様は4月29日に書いたとおりです。長野での聖火リレーとフリーチベットの動きは、以下のポッドキャストを聞いていたのですが、帰国後、新聞を見て、マスメディアの扱いとの乖離に驚きました。この番組の中で、在日チベット人の方がインタビューに答えて、次のように語っています(パーソナリティーによる日本語訳)。
チベット人の皆さんにインタビュー(前編)(i-morley):
http://morley.air-nifty.com/movie/2008/05/post_87f3.html
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(長野で)密着取材も受けていたから、それがインターネットやテレビニュースに出ているだろうと思って東京に戻ったら、何も流れてなく、とてもがっかりした。それだけ隠蔽してしまうのならば、僕たちを暴力的にさせたいのか。自分たちが善光寺でグッドフィールングになったのは、非暴力の抗議が一番正しいんだということが、ズーンと来た(からだ)。ところが、メディアに反映されていない。ということは、非暴力は絵にならないのですか? 暴力だったら絵になるのですか? ということで、そこはがっかりするものがあった。(カッコ内は筆者補足)
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主語を在日チベット人ではなく、それぞれが関心を持っている人びとに置き換えてみると、いまの世の中で、抑圧されている人びとの悲痛な叫びに聞こえてきます。
暴力の潜在性を指摘しているのではなく、大きな力によって消されかけている小さな声に耳を傾ける努力の必要性を強調したいのです。その声を伝えなくては、存在しないことになる危険があります。
見せない聞かせない仕組みのなかに僕らは生きているのかと思うと怖くなります。あえて見ない聞かないということも先進国に生まれた僕には可能です。その方が楽ですし。しかし、その選択は、フェアで持続可能な社会を築こうと思ったら、ありえないということに、多くの人びとに気づいてほしいのです。
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