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2005年11月

2005/11/28

石川文洋氏が文化徽章受賞 Ishikawa - người bạn văn hóa của VN

報道写真家の石川文洋氏がベトナム文化情報省から文化徽章を授与されたそうです。25日にホーチミン市戦争証跡博物館で受賞式が行われたとのこと。以下はViet-Joからの転載です。

カメラマン石川文洋氏、文化徽章受賞
2005/11/28 07:10 JST更新

 ベトナム戦争報道で著名なカメラマン石川文洋氏が、ベトナム文化情報省から文化徽章を授与された。文化徽章の授与は2003年に決定済みであったが、石川氏の渡越を待ち、25日にホーチミン市戦争証跡博物館で受賞式が行われた。

 石川氏は、1938年生まれ、1965年1月から1968年12月まで、報道カメラマンとしてベトナム戦争に従軍、数々の写真を発表し、国際世論をベトナム反戦に導いた。さらに1998年、ベトナム戦争写真展を日本の4都市で開催、その後同展で展示された全ての写真をホーチミン市の戦争証跡博物館に寄付している。[2005年11月26日: Tuoi Tre紙]

Viet-Jo:
http://viet-jo.com/news/social/051127091212.html


Tuoi Tre(トイチェ)から原文を転載です。フォントの都合で文字化けしてたらごめんなさい。

Ishikawa - người bạn văn hóa của VN

Ông Ishikawa: "Tôi đã đến các làng hòa bình ở Hà Nội, Gio Linh - Quảng Trị để gặp gỡ các nạn nhân chất độc da cam, chụp ảnh và đăng trên các báo Nhật " - Ảnh: L.Đ.
TT - Phóng viên nhiếp ảnh quốc tế Bunyo Ishikawa vừa nhận huy chương “Vì sự nghiệp văn hóa thông tin” do Bộ Văn hóa - thông tin trao tặng trong buổi lễ trọng thể tổ chức tại Bảo tàng Chứng tích chiến tranh (TP.HCM) sáng 25-11.

Ông Bunyo Ishikawa sinh năm 1938 tại Nhật Bản, là phóng viên quốc tế chuyên về VN, tác nghiệp trong chiến tranh VN từ tháng 1-1965 đến tháng 12-1968. Trong thời gian đó ông liên tục công bố những thiên phóng sự ảnh, tố cáo mãnh liệt thực trạng chiến tranh tại VN, tạo dư luận đòi chấm dứt chiến tranh VN.

Năm 1977, Ủy ban Hòa bình tại Nhật Bản đã xuất bản cuốn sách ảnh Chiến tranh giải phóng VN bằng tiếng Việt của tác giả Bunyo Ishikawa, do Thủ tướng Phạm Văn Đồng đề tựa.

Tháng 4-1998, ông Bunyo Ishikawa tổ chức một triển lãm ảnh tư liệu về chiến tranh VN tại Tokyo và ba thành phố lớn của Nhật Bản. Sau đó ông đã tặng toàn bộ tác phẩm của triển lãm này cho Bảo tàng Chứng tích chiến tranh.

Trong năm nay ông vừa nói chuyện tại một loạt trường đại học và trung học trên toàn nước Nhật “để truyền đạt cho giới trẻ Nhật Bản những cảm nhận của tôi về cuộc chiến tranh VN”. Bộ Văn hóa - thông tin VN đã quyết định tặng Ishikawa Huy chương vì sự nghiệp văn hóa thông tin vào năm 2003, tuy nhiên đến nay ông mới thu xếp sang VN nhận.

LAM ĐIỀN

Tuoi Tre:
http://www.tuoitre.com.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=110261&ChannelID=10#top

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2005/11/27

@名古屋

今日は大学後輩の結婚式に呼ばれ名古屋へ。

昨夜は恒例、ベトナムNGOの集まりで、やはり恒例の飲み会に突入。まあ、この席で侃々諤々やるのが楽しいのだけど。おかげで終電を逃しタクシーで帰宅。そしてオマケの二日酔い。

披露宴は朝10時の開始だから8時には家を出なくちゃいけない。ふう。めんどくさいなあ。写真は新幹線車中より。両親のいる実家の近くを通過。

051127_09080001.jpg

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2005/11/26

蛇口が逆

頑張って午前中に起きてプールへ。この時間帯に行くのははじめてだけど、すいてて泳ぎやすい。水の中も自然光で明るい。金曜夜に深酒するのは以後、自重しよう(と思う)。そして帰宅。

午後は東京で用事があるので簡単にひげを剃ってしまおうと自宅の洗面所で蛇口をひねる。が、あれれ? 右側の青い印のついた蛇口をひねってんだけどお湯が出るではないですか!ではと左の赤い印のついた方をひねると、ちゃんと冷たい水が出る! ちゃんとではないか…。

どうしちまったんだろう…。昨日までは本当にちゃんと、右から水、左から湯が出ていたのだ。水道工事かなんかでいじって間違えてつなげちゃったんだろうか。おいおい、ここは日本だぞ。まあ水と湯がそれぞれ出るんだからいいけどさ。それにベトナムの安ホテルみたいだし。いやいや、寝ぼけてたり、酔っ払ってるときに間違えて火傷するのは嫌だ。不動産屋に電話して直してもらった方がいいな。

で、日付が変わった深夜、風呂を入れようと蛇口をひねれば元に戻ってる。う〜む。

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2005/11/23

二日酔い

先週は多忙につき、ほとんどブログを更新できなかった。ブログだけでなく、メールもチェックするのがやっとで返信もできず、さらにマスメディアへの接触もほんのわずか。朝の通勤電車で主要記事にざっと目を通すが、シートが空いて座ることができると、とたんにグ〜っと眠りに落ちてしまうのでした。

で、今週やっとほっとできるかといえば、そうでもない。でも休日前の昨夜はひさびさの飲み会。自由が丘で飲み食いし、盛り上がった勢いで2次会へ突入。帰宅はもちろんタクシーで午前様。

ビール、焼酎、ワイン、ウイスキーをチャンポン。ひさびさに二日酔い。すさまじい頭痛のおかげで、せっかくの休日を布団のなかでまるまって過ごす。

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2005/11/22

ワシントンポストがベトナム新聞報道を評価

Viet-JoよりThanh Nien(青年)紙の翻訳。


ワシントンポスト紙、ベトナムにおける新聞報道の改善を評価
2005/11/22 07:05 JST更新

 20日付ワシントンポスト紙は、タインニエン(青年)新聞のドック・チュン記者とホアイ・ナム記者の特集を掲載した。ワシントンポスト紙のアラン・シップレス記者は、2人の記事『検疫書類を野菜のように売る』を紹介し、「ベトナムにおけるマスコミの役割が日増しに高まっていることをあらわす典型的な例だ」と賞賛した。ワシントンポスト紙には、2人の取材の様子、その準備過程に至るまで、詳しく掲載された。

 また同紙によると、彼らが取材を通じ得た証拠により、実際に不正行為が行われていることが明らかとなり、罪を犯した獣医は左遷され、彼らはホーチミン市人民委員会によって、賞賛されたことを引き合いに出し、ベトナムの政治改革の積み重ねが、新しい世代の記者が社会の悪癖を追求する原動力になっているとしている。

[2005年11月21日 Thanh Nien紙]

http://viet-jo.com/news/social/051121110803.html

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2005/11/21

フリーランス・フェスティバル開催!

【転送・転載歓迎】

見よう!聞こう!語ろう! フリーランス・フェスティバル

日本で、そして世界各地で、言葉と映像の力を信じて活動する独立系ジャーナリストたち — 今回のシンポジウムは、いま第一線で活躍しているフリーランス・ジャーナリストが一同に集まり、彼/彼女らの仕事をテーマ化し、その社会的役割と意義を広く考えていこうという目的で開催されます。

このイベントは、個人の仕事を披露して、お互いに批評し合う場ではありません。マスメディアの、いわゆる「会社ジャーナリズム」とは一線を画した独立系ジャーナリズムの課題や可能性を具体的に提言しながら、日本のジャーナリズム全体のあり方について建設的な議論をしていきたいと思います。

また、このシンポジウムをとおして、独立系ジャーナリストたちが横につながるきっかけができればとも願っています。そのような横のつながりをつくろうとするイニシャチブは、日本ではこれまでほとんどありませんでした。私たちは、この企画によって、プロフェッショナル・ジャーナリズムとは何かを考え、その位置づけを明確にし、ジャーナリズムの閉塞状況を打ち破るきっかけを見つけ出したいのです。

この企画はメディア/ジャーナリズム研究を行ってきた東京大学大学院情報学環と、独立系ジャーナリストたちの活動グループであるアジアプレス・インターナショナル、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会およびDAYS JAPANとの共催で行われます。

東京大学大学院情報学環・学環長 花田達朗
アジアプレス・インターナショナル代表  野中章弘


「見よう!聞こう!語ろう! フリーランス・フェスティバル」
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/research/symposium/2005/10.html

開催日時:2005年12月10日(土) 午前10時30分より午後8時
場所:東京大学(本郷キャンパス)農学部弥生講堂一条ホール
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/yayoi/
主催:東京大学大学院情報学環、アジアプレス・インターナショナル、 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会、DAYS JAPAN
資料代1000円(学生 500円)

<10時30分> 開会 総合司会 林香里(東京大学助教授)
<10時35分> 開会の挨拶 花田達朗(東京大学大学院情報学環長)
<10時45分> 第1部 ドキュメンタリーの原点を求めて〜台頭する女性監督たち 
司会 熊谷博子(「三池〜終わらない炭鉱(やま)の物語」など)
パネリスト 鎌仲ひとみ(「ヒバクシャ_世界の終わりに」)、坂上香(「Lifersライファーズ終身刑を超えて」)、古居みずえ(「ガーダ_パレスチナの詩_」)
<12時15分> 休憩(45分)
<1時> 第2部 進化するジャーナリズム〜北朝鮮・カシミールから生リポート
司会    林香里(東京大学助教授)
パネリスト 会場から: 石丸次郎(APN編集長)、岩崎有一(ジャーナリスト)、綿井健陽(ジャーナリスト)
中継:北朝鮮、中東、カシミール、韓国と会場を結んだインターネットなどによる同時リポート
<2時10分> 休憩(20分)
<2時30分> 第3部 時代を記録する〜闇に光をあてるジャーナリストたち
司会    野中章弘(アジアプレス代表)
パネリスト 土井敏邦(ジャーナリスト)、森住卓(フォト・ジャーナリスト)、森達也(映画監督)、吉田敏浩(ジャーナリスト)
<4時> 休憩(20分)
<4時20分> 第4部 いまなぜ独立系ジャーナリストか〜総括討論
司会    林香里(東京大学助教授)
パネリスト 花田達朗(東京大学大学院情報学環長)、広河隆一(DAYS JAPAN編集長)、吉岡忍(作家)、野中章弘(アジアプレス代表)
<6時10分> 閉会の挨拶 野中章弘(アジアプレス代表)
<6時20分> 休憩(10分)
<6時30分> 立食パーティ(交流会)
<8時> 終了
同時開催: 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会会員によるスライド・ショー(会議室)と写真展(ホールにて約80点)

入場は先着300名となります。あらかじめご了承ください。
事情によりパネリストが変更することもあります。

※本シンポジウムの運営費は、文部科学省の科学研究費補助金・基盤研究(B)「ジャーナリズム構築力の周縁からの形成をめざすジャーナリスト教育の研究開発」によって賄われています。

※問い合わせ
アジアプレス・インターナショナル 
電話03−5465−6605 e-mail tokyo@asiapress.org
HP http://www.asiapress.org/

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2005/11/20

ベトナムの人びと8:通学路

1997年。ニャチャン川にかかる南北統一鉄道の橋は、子どもたちの通学路だ。線路の脇に人がやっとすれ違うことのできる歩道がついており、地元の人びとの生活路になっていた。子どもたちは、毎日往復している見慣れた通学路に突然現れた珍客(僕のこと)を歓迎してくれた。カメラを向けると、照れながらもほほえむ子、顔をそむける子、「お〜い」と叫びながら手を振る子とさまざまだ。やっぱ田舎はいいな。

vnpeople08

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2005/11/19

ベトナムで鶏は食えるか?

今週は多忙だった。15日(火)から18日(金)まで、僕の職場が主催する展示会が東京ビッグサイトで開催された。同時に、講座やら会議やらも行うから、会議棟から東ホールまで何往復もする毎日。ビッグサイトに行ったことのある人ならわかるかもしれないけど、会議棟から東ホールまでは、まったくもって遠いのです(往復1kmってのは言い過ぎか…)。しかも、ほぼ立ちっぱなしだったから、すねが筋肉痛です。

さて、この年末年始のベトナム行きが決まりました。まだ準備はしてないけど、チケットは確保したから、出発まで体調を崩さぬよう、仕事に励みたい。新たな楽しみは、中古ではあるけどオートフォーカスのカメラを買ったことです。Nikon F100。この「新」カメラについては後日レポートの予定。

以下はViet-Joからの転載です。


ホーチミン市:全飲食店に家禽購入先の事前報告を義務付け
2005/11/18 07:12 JST更新

ホーチミン市人民委員会は、21日までに市内のすべてのレストラン・食堂と路上で鶏やアヒルの丸焼きを売る屋台に対し、検疫済み家禽しか使用しない旨誓約させ、家禽購入先の住所を事前報告させるよう義務付ける。

市人民委員会はまた、家庭内の観賞用鳥類を、ホーチミン市外に放すか、焼却処分するように求めた。30日以降、市内では家庭での観賞用鳥類飼育が禁止される。

ここ5日間で市は、感染家禽や検疫違反食品66.7トンを処分した。処分方法は市内にある焼却場の家禽焼却能力が1日あたり3−5トンと限られているため、焼却処理しきれない30−40トンの家禽を処分場で埋め立て処分している。[2005年11月17日: Tuoi Tre紙]

http://viet-jo.com/news/social/051117114133.html

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2005/11/11

JVJA取材報告「パキスタン北部地震の現場から」開催!

【転送・転載歓迎】

JVJA取材報告「パキスタン北部地震の現場から」

主催:日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)
http://www.jvja.net/

パキスタンを震源とする大規模な地震発生から1ヵ月が過ぎた。いまだ支援物資は十分でなく、これから被災者は厳しい冬を迎えようとしている。現地を取材した土井敏邦と森住卓が震災地のいまを伝える。

11月22日(火)文京区、区民センター3A室
開場18:30 開演時間19:00〜21:00
入場料 500円
※一般の方も、もちろん参加できます。

文京区、区民センター 地図・交通
http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumincenter/

土井敏邦
 「ツナミ」被害の報道と救援に疲れた国際社会は、死者8万人を超えるパキスタン北部大地震への反応は鈍い。地震から3週間後、現地に入って、その破壊の凄まじさと、救援の遅れに衝撃を受けた。救援活動を続ける韓国やアラブ首長国連邦の医療チームを追いながら、「海外での災害にも、まず自衛隊派遣」の日本政府のやり方はほんとうに有効なのか、厳冬が迫る震災地の被災者たちが日本にどういう支援を望んでいるのかを追った。
http://www.doi-toshikuni.net/

森住卓
「山が動いた」と住民が言っていた通り、ヘリから見たカシミールの山々はいたる所で崩壊していた。 崩れ続ける山は舞い上がる埃が谷あいから頂上にのぼり、まるで霧が立ちこめているように見えた。 印パ国境カシミールは現在も紛争地帯。この地域は立ち入り許可が出ないが災害時とあって簡単に立ち入り許可が出た。 普段は見られないカシミール辺境の地からのレポートである。
http://www.morizumi-pj.com/

(問合せ)
JVJA事務局 
〒101-0063東京都千代田区神田淡路町1-21 静和ビル2F
tel 090-6101-6113 fax 03-3252-7651
E-mail office@jvja.net

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2005/11/08

鳥インフルエンザで死者

以下CNNからの転載です。


ベトナムで42人目の鳥インフルエンザ死者
2005.11.08
Web posted at: 12:38 JST
- CNN/AP/REUTERS

ハノイ——ベトナム保健省は8日、鳥インフルエンザによる新たな死者が出たと発表した。人間の死亡は同国でこれで42人目、7月以来という。

発表によると、10月29日にハノイの病院で死亡した35歳男性が、高病原性H5N1型鳥インフルエンザに感染していたと確認された。

男性は、ハノイ・ドンダ地区の市場で家族が買ってきた鶏肉を食べた4日後の10月26日、発熱と呼吸しにくいとの症状を訴えて入院した。男性の家族は感染の兆候を見せていないという。

アジアでは03年以来、H5N1型鳥インフルエンザで少なくとも63人が死亡。ベトナムでは92人が感染し、今回の男性死亡によって死者は42人となった。

ベトナムではハノイ北東のバクジャンでトリの鳥インフルエンザ感染が報告されており、家禽(かきん)1万羽以上が処分された。

またバクジャンでは妊娠7カ月の24歳女性が発熱と呼吸器系の症状を示して入院しており、鳥インフルエンザ感染の可能性を調べている。女性は初期検査では感染が確認されなかったが、その後も発熱が続いたため、ハノイの入院で経過観察中。

ベトナム政府は鳥インフルエンザが流行しやすい冬を前に、大都市における鶏の飼育・鶏肉処理を禁止している。

http://www.cnn.co.jp/science/CNN200511080005.html

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2005/11/07

サイゴンで地下鉄

ベトナムで公共交通機関といえば…。鉄道、飛行機、あとはバスとタクシー。セオムとシクロは除外です。路線バスは最近、都市部では整備されてきましたネ。サイゴンではしばしば、モノレールだとか地下鉄だとかが施設されるのだと噂されますが(当局は本気でも計画頓挫ってのが真相か?)、今回の地下鉄はどうやら実現しそうです。

以下はViet-Joからの転載です。


日本が推す地下鉄ベンタイン−9区線のFSを政府に提出
2005/11/07 07:25 JST更新

 交通運輸省はこのほど、同省傘下の南部交通運輸コンサルタント社(TEDI South)が進めていたホーチミン市内ベンタイン市場と郊外の9区ニョー市場を結ぶ全長13.7kmの地下鉄建設の事業化調査(FS)を完了し(関連ニュース参照)、政府に提出した。また同線はニョー市場からバスに接続し、ドンナイ省ビエンホア市タムヒエップ街区までの全長14.5kmを結ぶ計画だ。同路線の総工費は7億1,000万米ドルと試算されており、日本政府は既にこのうち6億2,000万米ドルのODA供与に基本合意している。[Saigon Times Daily 11/4]

http://viet-jo.com/news/economy/051107011556.htm

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2005/11/06

ベトナムの人びと7:日本人の墓

ホイアンにはかつて、日本人町があった。いまでは墓が数か所にあるのみ。1997年、黄色い乾いた砂を踏みしめながら、細い路地の奥へ、とにかく歩く。途中すれ違う人みんなに「日本人の墓は?」とたずねながら行くが何とも心許ない。

はじめ、小さな男の子が駆け寄ってきて案内をかって出た。途中、道を間違えながらも自信ありげに私の手を引く。すると、次第に彼の仲間が集まって、12歳のダン少年を筆頭とする探検隊が結成された。

見渡す限り緑がゆれる水田の細いあぜ道を歩く。空が曇り、雷が鳴る。目指す墓はその水田に埋もれるように静かに存在を維持していた。

墓石に刻まれている文字は判読不可能だった。日本人の墓かどうかも確信が持てなかったが、なかなか楽しい即席探検だった。もちろん案内料を請求された。そういえば、仲間が増えるたびにダン少年は「あっちへ行け」と追い払おうとしていた。収入をできるだけ多くしようとの腹づもりか。彼は「コカが飲みたい」と大人びた真剣な表情で言った。

vnpeople07

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2005/11/05

嫉妬は怖い

ベトナムの女性は情熱的というか、嫉妬深いというか。浮気夫の相手の女性に硫酸を浴びせかけるって話はときどき聞くけど、自分の夫にはどういう仕打ちをしたんでしょう。僕もサイゴンの路上で、ベトナム人男性が、包丁をもったその妻に追いかけられている光景を目撃したことがありますが…。以下は、現地紙を翻訳掲載している“VIET-JO”(4日付)より転載です。


嫉妬心で硫酸1リットルを浴びせる

ホーチミン市で1日、夫が浮気していると知った妻(25)が、約1リットルの硫酸を購入、不倫相手の女性(28)宅まで運び、そのままその女性と妹(25)に浴びせ重症を負わせる事件が発生した。公安ではこの妻に幼子がいることから自宅に帰し、身柄の拘束は行なっていない。[Thanh Nien 11/3]

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2005/11/04

友人とベトナムへ

この年末年始、友人T氏とベトナムに行く計画を立てている。お互い余裕のある休暇がとれるわけではないから、航空券が取れればまずはよし、といったところだけど。

最近ブログを立ち上げた友人A氏とT氏、そして僕は中学時代からの友人。いまでは仙台、横浜、静岡と離ればなれだが、まあ気の合う悪友といったところか。

A氏とは何度か東南アジアを旅しており、気の置けない友人と同行する楽しみはよくわかっているつもりだ。A氏初の海外旅行もご一緒させていただいた。で、今回T氏である。

彼はどんな光景に関心を示すだろう。いまから楽しみだ。

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2005/11/03

ベトナムの人びと6:ホイアンの市場

1997年、ベトナム縦断の途中立ち寄ったホイアンの市場をぶらぶらしていたら、だみ声の中年女性に声をかけられた。手振りや表情からすると「食べて行きなさい」ってことだろう。

木製のベンチに腰掛けると、フォーのスープがないようなうどんが出てきた(3000ドン)。カオラウ(Cao Lau)っていうのかな。この女性はそこにラー油のようなものをたっぷりかけて、さあ召し上がれと言わんばかりの笑顔。

食べ終えたときには、額からは大玉の汗、鼻水はぐずぐず。一緒に店番をしていた小さな女の子もおやつに同じものを食べているが、表情は涼しげだ。

この少女にカメラを向けると、照れてそっぽを向いてしまう。母親と同じように、口紅とアイシャドーをしていたのがかわいかった。

vnpeople06

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2005/11/01

戦争から平和の創造へ

京都新聞(インターネット版)11月1日付にベトナム戦争に従軍した元米海兵隊員のアレン・ネルソンさんの記事が出ていた。

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「戦争はゲームじゃない」 東近江市・船岡中 元米兵が講演

滋賀県東近江市の船岡中で31日、「平和学習会」が開かれ、ベトナム戦争に従軍した元米海兵隊員のアレン・ネルソンさんが生徒たちに、自身の戦争体験や平和への思いを語った。

同中は毎年、平和学習会を開いており、今年はPTAと共催した。アレンさんは1947年にニューヨークで生まれ、66年から約1年間ベトナム戦争に従軍した。退役後は戦争後遺症で精神的に苦しみ、現在は米国や日本で平和を訴える講演活動を行っている。

学習会には、全校生徒や保護者たち約300人が参加した。アレンさんは戦地のジャングルで死体を探した体験などを話し「戦争は、ゲームじゃない。非人間的で残酷なことだと知って」と訴えた。また、戦争放棄をうたった日本の憲法九条の大切さを説き「世界平和はみんなの願いから生まれる。すべての暴力を取り除くために支え合いましょう」と締めくくった。
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ネルソン氏は何度か来日し、戦争の悲惨さを訴えている。以下は1997年に横浜で行われた、報道写真家の石川文洋氏との対談です(僕が当時、運営していたHPからの再録)。


対談「戦争から平和の創造へ」 石川文洋 & アレン=ネルソン

 戦場で人を殺すにはルールはないのです

アレン=ネルソン(以下、N):海兵隊で訓練を受けました。実際は戦場に行くときには興奮していましたが、現地は想像していたものとは全く違っていました。戦場で人を殺すにはルールはないのです。殺した人、死んだ人の数を数えなくてはなりませんでした。男、女、老人、子どもを分類し、バラバラになっていたら、吹き飛んだ部分を集めて、なるべく元通りの形にしなくてはなりませんでした。
 戦争で苦しむのは兵士だけではなく、女の人や子ども、老人など無実の人々が苦しむのです。村への攻撃が終わると、避難していた女性や子どもが村に戻ってきて、肉親の死体を見つけてヘナヘナと地べたに崩れるのを戦場で目撃しました。思い出すのは、死体のにおい、それに群がるハエ。それらの臭いは映画からは伝わってきません。同僚の海兵隊が死んだとき、彼の母親が息子の死を知らないことを思うと悲しくなりました。
 子どもの泣き声が聞こえたことがありました。2、3日も飲まず食わずで道ばたに転がっている赤ん坊をよく目にしました。子どもは、戦争のあるなしに関わらず生まれてくるのです。ベトナムで見た光景は、30年前のこととは思えない、つい昨日のように思えます。戦争は対個人のものではなく、敵に対する計算された冷酷な行為なのです。犠牲者は、戦争の被害者(老人や子ども、女性)だけでなく、兵士もその一人なのです。帰国しても、正常に生活できず、家庭生活を営めないこともありました。

 ベトナムには壊れた家庭はなかった

石川文洋(以下、B):ベトナムに行くとき、何のために行くと思いましたか。
N:戦争に関しては、映画や大人の話から戦争に行くことは名誉でありエキサイティングな冒険だと思っていました。
B:アメリカは何のために戦争をしていると思いましたか。
N:アメリカで育ち、共産主義=「悪」と思っていました。「ベトナム人は民主主義を望んでいるのに、共産主義に侵されている」とテレビでも高校でもそう教わりました。
B:上官から教わり、実際にベトナムに行き戦い、農村でベトナム人の生活を見て、この戦争は共産主義と関係があったか、ベトナム人は共産主義者であると思いましたか。
N:軍事的訓練では「敵は人間ではない」と洗脳されたことで、ベトナム人を人間と見れず、戦場に赴いた初期はベトナム人の顔も覚えていません。「ベトナム人」とは呼ばず「グーク」と呼び、それは母親もおらず、Human being ではありませんでした。
B:村が攻撃されると、解放戦線を組織として見た場合、共産主義の宣伝をしているが、南ベトナムの場合、アメリカ側から見て共産主義側である完全解放区と、サイゴン政府軍の支配している地域、また、中間地帯として、昼間の間だけサイゴン政府軍が都市と主要幹線道路を支配しているが、夜になると政府軍は入って行けない競合区がありました。競合区は実は、解放戦線側が圧倒的で、アメリカ軍は「サーチ・アンド・デストロイ作戦」で動きますが、解放戦線は村と一体となっていました。ベトナム人は、農村では攻撃があるので自分の村を守ろうとします。私は最初、従軍を1か月ほどして、もうアメリカは勝てないと思いました。アメリカ軍が攻撃をすると、解放戦線は村の中に隠れてしまう。米兵が捜して捕まえて拷問する。それを見ていると、村に住んでいれば解放戦線側になってしまう。米兵は何も知らないので、村の人を解放戦線側と見てしまう。村を攻撃すれば、敵を増やすばかりなのです。
 村は貧しく、電気もなければ、家具もない。アレンさんも貧しかったが、ハーレムなどの貧しい地区に住んでいても水洗トイレも冷蔵庫もあった。ベトナムには何にもない。共産主義が支配していたのでベトナムには何にもないのだといわれていましたが、ベトナムとアメリカの貧民街のどちらが貧しいと思いましたか。
N:ベトナムの民家に入ったことはありませんが、見た限り民家の中でネズミが走っていることはなく、きれいでした。アメリカの貧困とは違い、ベトナムには田畑がありや鶏もいました。ベトナムには壊れた家庭はなかった。アメリカでは家族を養えなくて父親が逃げてしまうのです。
B:アメリカは、ベトナム人が貧しいのは共産主義の仕業だと言っていましたが、メコンデルタでホタルが飛んでいるのを見ながら酒を飲んでいると豊かさとは何かと考えさせられます。ベトナムに行くと自然があった。物質的には貧しいけれど、人々の心は豊かであった。アレンさんはベトナム人に客として招かれたことはなく侵入者のアメリカ兵でした。私が、従軍するときの軍服ではなく私服で民家を訪れ、ヌクマムの料理をご馳走になったのとは違います。
 しかし、アメリカ人の指導者の中にはエリートの家庭で育った人もおり、アレンさんとは違った思いで見ていたかも知れない。ベトナムに派兵された米軍の中には黒人兵がたくさんいました。とくに前線に多かったのですが、それはなぜでしょう。軍の中で差別はどうでしたか。
N:ベトナムでも常に差別はありました。アフリカ系アメリカ人は、白人よりも危険な時間を過ごすことが多かったのです。海兵隊の80-90%が労働者階級であり、豊かな人は大学に行って、ベトナムに行くとすると文化人類学者か社会学者として行くことがあるだけです。人種差別もありました。大学に行くこともできず、軍隊に入るしかなかったのです。
B:1個師団の中では社会が組織されており、情報将校はデスクワークで、前線に出ていくのは50-60%です。沖縄のような後方基地がないと戦争はできません。そこでは事務能力が必要になります。米兵でも十分な教育を受けられない黒人は軍隊に入っても、そういうことができないので、前線に出されてしまう。アメリカの縮図なのです。プエルトリコ系や英語が話せないグループもいました。

 本を閉じ物語は終わりにしよう

N:石川さんのベトナム戦争観はたいへん興味深いが、外から観察する者と、内側で子どものころから軍は国家のために尽くすというプロパガンダの下で育った者とは、見方が違います。原爆も戦争の再発防止であると教育されてきましたが、それはウソであるとはっきりしました。朝鮮戦争やパナマ、グラナダ、湾岸戦争などを見てもそれは明らかです。ベトナム戦争後期では、ベトナム人に同情するようになった私たちも抑圧された側なのです。
B:ベトナム帰還兵が、米国民から冷たい目で見られていた時期がありました。その時の状況と、最近、ベトナム戦争は正義の戦争であったと言われるようになりましたが、その変化はどこから来ているのでしょうか。
N:ジャングルに入っていったあと、私は勝てないとわかっていました。訓練では、戦争が正当かどうか判断するのではなく、命令に従うことをたたき込まれました。アメリカは自身の望む政府を持とうとするし、ベトナムでもそれを求めました。米兵はベトナムで、友人以外に失う者は何もありませんでした。得るものもなにもなく、望むのは生き残ることだけでした。あとあとで、正当だったか否かをわかるようになったのです。
B:市民や政府にはどんな影響がありましたか。
N:ベトナム戦争のような戦争はもう起きません。ベトナム戦争は、カメラマンが入り込むことができた戦争であり、戦場の様子が米国民に伝わり、この戦争は受け入れられないと米国民は思いました。湾岸戦争では、カメラクルーが戦地にはいることは許されませんでした。海兵隊が遺体になって戻ってきて、初めてわかったのです。湾岸戦争を正当化したくても、そうはできない状態になりました。メディアを通してわかっていったのです。初めは強硬派がいましたが、後期はそんなこともなくなっていきました。今は、政治家も市民も、もう繰り返そうとする人はいないはずです。もう本を閉じ物語は終わりにしようということなのです。

 質疑応答

会場:現在の米国で、ベトナム戦争はどうのように教育されていますか。
N:かなりサラッと教えています。今の子どもたちの生きている時代ではなかったので、子どもたちの反応はわかりません。ときどき、講師に招かれて感じるのは、対価の高い間違った戦争だったと思われてること。
会場:アメリカがまた同じ戦争を起こす可能性はありますか。
N:アメリカは今後も世界の紛争に関与していくでしょう。ただし、長期間ではなく短期で、ハイテクで破壊力の強い数週間の戦争になるでしょう。
会場:戦争は、人間の生まれ持った攻撃的性格ゆえなのでしょうか。
N:Human being は本質的に人を殺す性格ではありません。戦争は人種差別がもとになっています。相手を人間と思っていないからです。
B:私は、アレンさんとは逆で、人間は残酷で人を殺す性格を持っていると思います。戦争が人を変えるのではなく、人間が本質に戻っていくのだと感じます。中国の日本軍は農村出身の素朴な青年が多かったのですが(米兵も素朴な青年でした)、戦争だと人を殺していくのです。
N:人間には生きたいという本能があり、家に侵入者がいて、愛する人を殺そうとすれば、その侵入者を殺そうとするかも知れません。しかし、軍隊は別で、軍の教育で人を殺す32種類の方法の訓練を受けました。
会場:差別される黒人が、アジア人を、ベトナム人を差別することはありませんでしたか。
B:沖縄でもありますね。少女暴行事件は黒人が犯人でした。沖縄での黒人兵の犯罪は、今でも起きています。それはアメリカの貧困や教育差別に基づいています。どうして差別されている黒人がそういうことをするのかと沖縄でよく言われます。
N:軍事主義と人種差別主義者がよい兵士であるとされています。そうであればこそ、人を殺せる、他人を差別することができるようになるのです。黒人だけではなく、白人も同じようなことをしていますが、あまり表に出てきません。法廷に出てくることもありません。黒人にも責任があるのはもちろんですが。
会場:軍隊では共産主義は「悪」と言っていたそうですが、現在は共産主義についてどう思いますか。
N:アメリカ社会はキリスト教義に基づいて構築されていて、共産主義は人間の心のない、恐ろしいものと教わりました。現在は、私は、そうではなく、同じ人間だと思っています。人間は、イデオロギーや宗教、信条でかわるものではないと堅く信じています。それはベトナムで得た戦友との交流で学びました。レッテルを貼るのは、差別を増長させることです。

 戦争は人殺しであり悪

会場:米国の若者はベトナムに関して戦争映画や本で十分知らされていると思いますか。
N:映画や本からの情報は多くありますが、それはベトナムも苦しんだが米国も苦しんだという描き方で、米国が絶対的に悪い戦争であるというように描いたものはありません。私に言わせれば、戦争が絶対的悪であると思います。
会場:アレンさんの活動について教えて下さい。
N:いかなる理由があろうと、戦争は人殺しであり悪であります。戦争をなくすための活動をしていきたいと思っています。
B:日本は、三十年戦争の総括ができていません。アジアに対する政府の姿勢も、戦後50年でやっとでてきました。やはり、戦争は悪です。生命が一番大切であり、それを殺す戦争は悪です。戦争は、人々ではなく権力者によって起こされるのです。そして、犠牲者は一般市民です。交通事故のように自身は大丈夫と思っても、気をつけなければ起きるものなのです。以上、これまでの経験からの総括です。
N:ベトナムから生還でき、このように話せるのはたいへん嬉しいことです。みなさんが私の言うことに全て同意しなくても、戦争におびえることのない生活を構築すべきですし、軍を維持するための費用を教育などに向けるべきなのです。世界から戦争をなくすことに協力していきましょう。

石川文洋:報道写真家。1938年生まれ。65年から68年にかけて、ベトナム戦争にフリーランスとして従軍。69年から84年まで朝日新聞社に勤務し、ベトナム、ラオス、カンボジアの戦火のインドシナ半島を取材。現在はフリーに戻り活躍中。「戦場カメラマン」「ベトナムロード」他著書多数。30年間の集大成「写真記録ベトナム戦争」が96年出版された。(横浜アジアフェスティバルのパンフレットより)

アレン=ネルソン:1947年生まれ。アフリカ系アメリカ人(黒人)。ニューヨークのブルックリンの貧困地区で育つ。65年(18歳)に海兵隊に入隊。その後、沖縄のキャンプハンセンに駐留し、66年、ベトナム戦争に従軍。除隊後は、ボランティアとして平和活動に従事。現在、クエーカー教団のスタッフとして、貧困家庭の子供達のために勉学の場を提供している。(同パンフレットより)

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