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2005年4月

2005/04/30

サイゴンより2

午前8時、暑さで目が覚める。二日酔いだ。重たい頭で思考が鈍いまま、テレビをつける。なにやら式典のような光景が目映る。ひな壇の中に、ノン・ドク・マイン越共産党書記長の姿を見つけて、思考の回転速度が3速まで上がる。5速まで行かないのは、もともと寝起きが悪いせいだ。

しかしこんな早くから始まるとは... はやく行かなくては。ペットボトルのミネラルウォーターを乾いた胃に流し込み、カメラバッグを引っつかんで、ホテルの階段を駆け下りる。

バイクタクシーを拾い、サイゴン大聖堂を目指す。統一会堂にたどり着くレズアン通りがパレードのメーンストーリー。昨日の下見で、大聖堂の裏手あたりがいいかと踏んでいた。しかし、途中、いたるところで交通規制のバリケードを目にする。

案の定、会場周辺は広い範囲で閉鎖されている。許可証がないと中にも入れない。限られた人々のみが、「解放30周年」を喜べるのだ。この制限区画の外では、人々は普通の生活を送っているようだ。関心がないのか... 関心があってもかかわれなければ、意味もなし、といったところか。

さて、どうしたものかと、大聖堂が正面に見えるバリケード前で望遠レンズを構え、遠くに見えるパレードの人々を1枚、また1枚と写すしかない。1度、このゲートで交通規制をしているブルーの制服を着た警官に掛け合ってみたが、無駄。

こちらにもパレードを見る以外に、この制限区画に入る必要がある。タイ航空でチケットのコンファームをしなくてはならないのだ。そのことを切々と訴えると、緑の制服を着た公安警察の現場責任者の所に連れてかれ、荷物検査を受けた上で、中に入ることが出来た。

そもそもこの区画内のホテルに泊っていたら、こんな関門は無意味だ、と思いきや、グエンユー通りを過ぎたあたりで、また公安に引き止められ、引き返す羽目に。もっともタイ航空のオフィスは休日のため閉まっていたのだが、とにかく、せっかく中に入れたのだから、もっと会場に近づく道を探す。

統一会堂近くのわき道をゆくと、会場の方からわらわらと人の群れが... どうやら式典はすでに終わってしまったようだ。こんなことならホテルのテレビを見ていた方が、パレードの様子が分かったのに。ふう。

レズアン通りにはいると、まだ式典の余韻覚めやらぬ退役軍人、報道陣の群れを発見。列をつくって写真に納まっている。「ベートナーム、ホーチーミーン」と繰り返し歌をうたっている。その写真を取っていたら、あんたも一緒に並びなさいと、女性元兵士から強引に並ばされる。僕の戸惑った顔が、どこかの国のテレビニュースに映っているかもしれない。

その報道陣の中に、プレスカードを下げた日本の新聞記者。「○○さんですか」と声をかけられるが、人違い。また、見かけたことのある後姿だなあと思っていたら、写真家の外山ひとみさんの姿も。外山さんは、おばあちゃんの参列者と向かい合って何事か話している様子。どうやらこのおばあちゃんたちは、クチからやってきたらしい。

とさらに、見かけた顔が。あれ!? ホテルの女主人のだんなではないか。あんた何やってんのこんなところで。彼の首からはニコンの高価なカメラが。ん?カメラマンだったの?? もともと謎が多い人物だったが、さらにその謎は深まった。

レズアン通りの周囲に人影はほとんどない。全国から式典に参加した人々のバスが連なって駐車してある。そのための場所確保と、要人警備のためのバリケード。その他の人々にとっては、普段通る道が交通規制されていて、迷惑の何者でもない様子。「4月30日」は、かかわれなければ、やはり関心外か。

街中には、金星紅旗が家々の軒先に掲げられている。夜になれば、いつものように、サイゴンっ子はまるで暴走族のようにバイクで街に繰り出し、通りを流し涼むのだろう。数年前のタイガーカップのときのように、金星紅旗を掲げて疾走する様は今夜も見れるのだろうか。

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2005/04/29

サイゴンより

成田よりベトナムのサイゴンに飛ぶ。成田空港ではセキュリティーチェックが厳しくなったせいか、超長蛇の列。30分以上かかり、やっと出国。

サイゴンに降り立つのは3年ぶりか。相変わらずの暑さが心地よい。まるで生き返ったかのような気分だ。が、以前より空気が悪くなっているように思う。ベトナム戦争終結30周年ということもあり、街中に金星紅旗が翻っている。

定宿へタクシーで向かう。10年以上親しくしてもらっているから、親族経営の宿であるせいもあり、かつて子どもだったのが高校生になっていたり、高校生だった子が大人になり、オランダ人と結婚して彼の地で生活しているなどと聞くと、僕も年を取ったのだなと感傷。

一番親しくしていたVが銀行に就職したのは知っていたけど、2年前に結婚し、いまでは一男一女の父親だという。ふえー。

夕刻、友人のT記者に連絡をとろうとするが電話つながらず。別の友人の携帯にかけてみるが、出ない。そうして、毎月東京で深酒をする仲となったNさんと合流してサイゴンでも深酒。

バインセオ49Aで飯を食らいビールをあおり、ハイバーチュン通りでまたビールを飲む。ベトナムの話題から日本の政治に話のテーマはぐるぐる。

そうしていたら、花火の音。テレビでも生中継だ。夜10時から15分程度だ。その間、ハイバーチュン通りは花火を見物しようと南に向かうバイクの大軍が途絶えない。

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2005/04/27

東遊(ドンズー)運動」100周年

あっという間に4月も終わりに近づいた。4月29日にベトナムに向け旅立てるよう、多忙な毎日。

今年はベトナム戦争終結30周年。2005年4月30日のサイゴンからブログに投稿できるだろうか。うまくいけば、今回の旅の様子をリアルタイムに掲載できるかもしれない。

僕が参加しているNGO「ベトナム子供基金」は今年6月、設立10周年を迎える。それを記念して機関誌で「10周年特集号」を制作することになった。編集の仕事は好きなのだけど、通常の号も同時に制作しなくてはならない。なかなか厳しいスケジュールだ。

そのほかに、まったく別の月刊誌にも記事を書いているのだけど、これもきつい。さいわい、これは先週、同誌編集部に送ってすでに校了。

もちろん、昼間はちゃんと働いているのですから、毎晩、酒を飲んでもおちおち酔っぱらうこともできずに、眠い目をこすりながら深夜に上記の仕事をするわけです。

なんてことをしていると、ブログにもまったく投稿できないので、まとめて記録を投稿する羽目になる。

今年はファン・ボイ・チャウがはじめた「東遊(ドンズー)運動」100周年。これを記念して講演会が開催された。関東と関西で全4回開催されたはずだ。というのは、そのうちの1回しか参加できなかったから。

僕が参加したのは第2回の4月17日(日)。会場は横浜市(大和市?)いちょう団地内の集会場だ。前日の第1回の模様を聞くと、なかなか興味深い内容だったらしいので期待していたのだが、当日は場所が場所だけに、在日ベトナム人向けということらしく、日本人パネリストも含めすべてベトナム語で行われた。

ちんぷんかんぷん。

なんとも残念なことをした。同行した大学院生Sさんはベトナム語を理解するが、それでもネイティブの早口にはついて行けないとぼやいていた。また日本人パネリストは強烈なハノイ弁だった(それは僕にもわかる)。彼女のベトナム語はサイゴン弁なのだ。

当日はすこぶるいい陽気で、たんぼにはレンゲが咲き、ピクニックにでも行きたい気分だった。

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2005/04/14

バックアップ

外付けHDDが壊れました。メーンのiBookはちょっと古い型なので、内蔵HDD容量がそれほど大きくない。データのバックアップと、iTunesにどんどんCDをコピーしていたら容量が足りなくなってきたため、外付けHDDを使っていたのだが、半年前からノイズがするなあと思っていたら、今日、iBookが外付けHDDを認識しなくなった。

CDをたくさん借りてきて、さらにコピーしようとしていたら、ノイズが大きくなり、読み込みが停止、iTunesも強制終了、しまいにはiBookも強制終了の羽目に。再起動しても認識してくれない。

やっぱ電子機器はこわい。可用性はだいぶ高くなったのだけど、保存性は危なっかしい。住所録等のバックアップは、Palmとシステム手帳に印字してあるのでなんとかなる。CDもiPodに9割はバックアップしてある。

でも、これから新しいデータを作成したらどうしようか。やっぱあたらしいMacを買わなくちゃいけないかな。しかし、旅行代金もかかるし、しばらくは懐が寒い日々が続きそうだ。春はまだ来ない。

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2005/04/09

FireFox

いつのまにか4月。早いはやい。ブログに投稿する暇もない。GWの計画も立てなくては。

今年はベトナム戦争終結30周年。4月30日には、サイゴンから記事を投稿できればいいのだけど。

ブラウザにFireFoxを使ってみる。オンラインバンキングでSafariが使えない銀行があるのが理由だ。Explorerを推奨している銀行もあるが、いかがなものかと。FireFoxはどうかな。これから検証してみよう。

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